福岡甲南会の歩み

福岡甲南会の歩み(前野相談役寄稿)

戦後の住宅難,食料不足、インフレ等の悪条件の中、九州の都市、農村でも力強い復興活動が行なわれ、戦火に荒廃した福岡も除々に昔の生気を取り戻しつつあった。
二中、二高女、甲南高校出身の方々も多くなり、同窓の誼を語ったり、久闊を叙したりすることが多くなって来た。
このような同窓生が働いていた大手の職場、九州配電(現在の九州電力)本店に鹿児島支店から赴任された福迫 操氏が中心となり二中出身者に呼びかけ、在福岡同窓会をつくることになり、昭和27年5月13日(二中創立記念日)日活ホテル(現博多城山ホテル)に於いて、福岡同窓会がはじめて開催されたと初代会長に推された操 担道氏(明治44年二中第4回卒)が本会創設30周年記念誌冒頭に書いておられます。
因みに操会長は九大医学部をご卒業後、医道に専念され浜の町病院院長として長く勤務され、102歳の高齢を保たれました。

かくして二中福岡同窓会が発足したわけですが、その後、東京に習い、二高女、甲南高校の方々もお誘いして、毎年の同窓会も出席者も増え名称も福岡甲南会と呼称するようになったとのことであります。

昭和55年8月4日には発会30周年を記念し、初めて正式な会員名簿、規約が作成された。
なお祝賀会が城山ホテルで開かれた。
平成4年7月19日には開設40周年を記念してセントラルホテルフクオカに於いて祝賀会が盛大に行なわれた。
そして平成14年7月13日シーホークホテル&リゾートにおいてに50周年大会開催。
現在に続いている

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